科学研究費助成事業 挑戦的萌芽研究 H27 ~ H29

挑戦的萌芽研究 H27~H29     科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)





課題番号:15K12651  研究課題名:「高圧酸素曝露は運動学習を促進するか」
2015年度:2470千円 (直接経費:1900千円, 間接経費:570千円)
2016年度:520千円 (直接経費:400千円, 間接経費:120千円)
2017年度:910千円 (直接経費:700千円, 間接経費:210千円)

分担研究者:小幡 博基 (九州工業大学 准教授)

1.研究開始当初の背景
これまでの高圧酸素を用いた研究では,事前処方として実施され,筋力や心肺機能に有意な変化が見られなかったことが報告されている(Rozenek et al. 2007, J Strength Cond Res; Kawada et al. 2008, J Strength Cond Res)。しかしながら,近年,慢性期の脳卒中患者に2絶対気圧で100%酸素を190分,週に5日間,2ヶ月で40回実施すると神経学的評価(National Institutes of Health Stroke Scale (NIHSS), ability to perform activities of daily living (ADL))において改善が見られ,SPECT(単フォトン放射断層撮影装置)では,灌流障害の有意な改善が確認されている(Efrati et al. 2013, PLoS One)。すなわち,脳損傷に対する潤沢な酸素供給が脳機能の改善を促したことを示している。したがって,高圧酸素環境への曝露が脳機能を促進し,運動学習固定を効果的に引き起こす可能性は十分考えられる。筋力や心肺機能に対する効果は上述したように観察されなかったが,これらはいずれも事前処方であり,トレーニング中やトレーニング後の処方は検討されていない。
Robertson et al. (2005, J Neurosci)によれば,朝8時に実施したスキル・トレーニングの直後に反復経頭蓋磁気刺激(rTMS)を一次運動野に10分間与えると夜8時の再テストにおいて,有意なパフォーマンスの低下を示し,またトレーニング2時間後に同様なrTMSを与えた群では,その後の再テストで,パフォーマンスの改善が見られたことを報告している。このことから,トレーニング直後が運動学習に重要な時間帯であることが推測できる。したがって,本研究では高圧酸素環境暴露のタイミングを重要な要素として検討する。

2.研究の目的
既に超高齢化社会を迎えた我が国の増大する医療費の抑制や2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けたアスリート強化のために,より効率的な運動学習を実現する新たな手法が開発できれば,障がい者および老若男女,あらゆる国民がその恩恵を享受することができる。本研究は,血漿中の酸素濃度を高めることにより怪我の治療を早めることで知られる高圧酸素治療に着目し,高圧酸素への曝露が運動学習を促進するか否か明らかにすることを目的とする。

3.研究の方法
(1)片手到達運動による力発揮制御課題
 被検者は,18名として4群にランダムに分けられた。被験者は,phantom haptic deviceのレバーを握って,10cm前方への到達課題を実施した。Phantom(45)到達課題において,初めの50回はnull field51回以降300回までforce fieldが与えられ,51回目以降,被験者は真っ直ぐ到達課題を実施したくてもレバーにかかる外力により右方向に軌跡が曲げられた(トレーニング)。しかしながら,何度も練習することで,次第に真っ直ぐ到達運動ができるようになる。その後2時間空け,100回のForce fieldを実施した(Test)。トレーニングに先行し,30回のnull fieldにおいて,動作速度をある程度一定に保つように練習した。
 酸素カプセルの影響は,群分けを以下のように設定し,検討した。Control群は,高圧酸素環境への曝露無し,O2-Phan群ではphantomのトレーニング前に,Phan-O2群ではトレーニング直後に,Phan-1h-O2群ではトレーニング後1時間空けて曝露した1.3気圧までは4分で達し,1気圧に戻るまで5分かかるため,実質1.3気圧の時間は51分であった。被検者は,1時間あるいは2時間の安静時,および酸素カプセルに入っている間も寝ることの無いように検者により管理された。
 スタート位置からターゲットまでの軌跡がそれら2点間を結ぶ直線からどれくらい左右に離れたか,その左右のエラーの振幅における最大値を各試行のエラー振幅として算出した。
分析には,トレーニング試行において最後の10試行のエラー振幅の平均を十分に練習した代表値として,そしてTestの最初の10試行をretentionの代表値として用いた。
各群において,Testの初めの10試行のエラー振幅値をトレーニングの最後の10試行のエラー振幅値で除した値が1より小さければ,学習が促進したことを示す。各群のこの値を1元配置の分散分析にて群間比較した。

2)感覚運動変換を必要とするジョイスティックを用いた反転トラッキング課題
 被験者は,110名として5群にランダムに分けられた。Control群は,高圧酸素環境への曝露無し,O2-Joy群ではJoystickのトレーニング前に,O2/Joy群では,高圧酸素環境に曝露しながら,トレーニングし,Joy-O2群ではトレーニング直後に,Joy-30m-O2群ではトレーニング後30分間空けて曝露した。
被検者は,スタートポジションの周りにある8つのターゲットの内,ランダムに指定されるターゲットに対して,Joystickを使ってカーソルを可能な限り早く,そして正確にターゲットまで示された円弧を辿って到達させることが要求された。しかしながら,カーソルはJoystickの動きとは180度逆に動くようにプログラミングされており,被験者はそれを知らされていないため,感覚-運動変換を行い,探索的にターゲットに向かうようにせざるを得なかった。ターゲットはランダムに色を変えることにより,次のターゲットを呈示し,色が変わり次第,スタートし,2.9秒以内にターゲットにたどり着かなければ失敗試技とした。
円弧と軌跡が成す面積が小さいほど正確に円弧を辿っていることになり,ターゲットまで2.9秒以内に到達した成功率を試行に亘る平均面積で除すことで,これをskill indexとして評価に用いた。群間比較において1元配置の分散分析を用いて検討した。

4.研究成果
(1)片手到達運動による力発揮制御課題
 Phantom装置は,酸素カプセルの中で実施することができなかったため,本課題では高圧酸素環境に曝露した状態でのトレーニング効果を検討することはできなかった。したがって,コントロールとPhantomトレーニング前後,およびトレーニング1時間後,の4群間で,酸素カプセルの効果を検討した。
 すべての群で,トレーニング2時間後にテストを実施し,その初めの10試行に関して,トレーニング最後の10試行との関係性を検討したところ,統計的に有意差は見られなかった。

(2)感覚運動変換を必要とするジョイスティックを用いた反転トラッキング課題
 Final時のskill indexAfter training時のskill indexで除した指標に関して,群間に統計的有意な差は見られなかった
 運動課題として,力制御課題および感覚運動変換を伴う反転トラッキング課題の2種類に関して,高圧酸素環境曝露の影響,およびそのタイミングに関して検討した。その結果,いずれの運動課題に関しても,またいずれのタイミングに関しても高圧酸素環境の影響は観察されなかった。

 上述した先行研究はいずれも2絶対気圧での効果を報告しているが,本研究では健康器具として近年非常に普及している1.3気圧に着目して,その効果の有無を検討した。このことから,群間に有意な差が見られなかったのは,気圧が十分ではなかったためかもしれない。1.3気圧によって,運動学習の促進にその効果が実証されれば,普及,実用性と言う意味では非常に大きな意義が想定されたが,実証されるには至らなかった。
 今後,より高い気圧での検討が必要であり,運動学習促進に対するその効果が実証されれば,各種スポーツ・トレーニングやリハビリテーションの効果をより効率的に高めることが期待される。これは,とりわけ後者において入院期間や通院期間の短縮につながり,社会復帰を早めることで医療費等の社会的コストの削減が期待される。






Phantom haptic device